皆さんこんにちは、懲りないトモです。
日本球界を彩ってきた数多の助っ人外国人。
その中から印象に強く刻まれている選手たちを紹介していこうと思います。
ロビンソン・チェコ
ドミニカのカープアカデミー出身選手で、
初の成功例と言っていいのではないだろうか?
なんと言っても印象的なのが背番号。
当時をしても異例の106番を背負っていた。
(現在では3桁番号は育成選手が付けるのが通例)
在籍1年目はプレーのインパクトも凄まじく、
圧巻のピッチングでチームを牽引しオールスターにも選出される。
その投球はジャイアンツの長嶋監督からも絶賛されていたと記憶している。
最終的には15勝を挙げるも、オフに契約問題でこじれ
翌年は平凡な成績に終わりそのまま退団。
喧嘩別れのような形となり、残念な最後となった。
フェリックス・ペルドモ
今でこそ大谷翔平の出現で一般にも認知されている投手・野手の二刀流。
カープの二刀流で、いの一番に浮かぶのはこの選手ではないだろうか?
とは言え、残した成績は並みだったので
記憶に残っている方は少ないかもしれない(笑)
基本的には内野のユーティリティプレイヤーや
ショートリリーフでの起用だったので
貴重な外国人枠を使うほどの選手ではなかったし…。
マーティー・ブラウン
ハッスルプレーでチームを鼓舞した。
何事にも全力で、時折勢い余るのもご愛嬌…(笑)
後年には監督に就任しており、そちらの方が印象は強いかな?
ルイス・メディーナ
来日初年度に三冠王を獲得!!
ただし、オープン戦で。
その肩書きだけで3年間在籍していた(笑)
ルイス・ロペス
来日1年目の1996年から2年連続で打点王を獲得。
「ビッグ・レッド・マシン」と称される強力打線の中核を担う。
カープファンとして目覚めた頃だったので
よく打撃フォームを真似していた。
その後一時退団するも、再び戻ってきたロペス。
勝負強さは変わらず好成績を残すが、
その強すぎる打点へのこだわりが仇になる出来事が…。
得点圏でヒットを放ったのだが、
ランナーだった前田智徳が本塁突入を自重。
その走塁の対し激昂したロペスが
ベンチで前田に掴みかかってしまったのだ。
これを期にロペスは一軍登録を抹消され
同年限りで退団。
貢献度の高さを考えると、
あまりにも寂しい別れになってしまった。
ティモ・ペレス
外野手。
その後、ニューヨーク・メッツなどで活躍。
アルフォンソ・ソリアーノ
外野手。
その後、ニューヨーク・ヤンキースなどで活躍。
日米通算2000本安打を達成する名選手。
だが日本での安打数は、2本(笑)
ネイサン・ミンチー
後にマリーンズでもプレーするなど
日本球界で長年活躍。
カープ時代の印象はとにかくタフ。
ほとんど中4日や中5日で投げていたイメージ。
イニングイーターとして重宝していた反面、
先発ローテーションは崩れて大変だったような…(笑)
まあこの頃のカープにローテーション投手なんて
ほとんどいなかったけどね。
エディ・ディアス
入団から2年間は平凡な成績ながら
謎の残留力を発揮し契約を勝ち取ってきた。
だが3年目に突如として覚醒し、別人のような成績を残す。
カープが外国人を辛抱強く起用するのは
彼の成功例が大きく影響しているのかもしれない。
エリック・ラドウィック
野球ゲームで使いやすかった。
(パワプロとプロ野球JAPANだったかな?)
クリストファー・カンバーランド
ジェフ・ボール
5月で帰った。
入団順に書いていったつもりですが、
終わりの方はオチみたいな選手が並びましたね(笑)
今回はカープの歴代助っ人外国人(1991~2000)を
ご紹介させていただきました。
少しでも楽しんでいただけていると幸いです。
それではまた。